サイト開設3周年となりました。たまには初心に返ろうということで『約25年前に風疹症候群で生まれた時のこと』という記事の続きを書いてみたいと思います。

例の記事では生後10ヶ月頃から補聴器を装用し始めたところで終わっておりますが、補聴器はつけただけで聞こえるようにはなりません。聴者だって、いきなりアメリカに行ったって自然に英語が聞こえるようにはなりませんよね?聞こえない人にとって音声言語つまり日本語は「外国語」です。発音の仕方から教わって身に付けます。

聞こえない子供が日本語を学ぶのは聴者が英語を学ぶのと同じことなのですが、感音性難聴の場合は音が歪むせいで「聴こえても聞こえない」という大きな問題があります。聞き取るのも相手の唇を読むのも集中力が必要です。「ヨシ、聞くぞ!」と心の準備をしてからでないといけないので聴者のように自然に言葉を覚えることはできません。日本語を使いこなせるようになるには聴者の何倍ものの時間が必要で、実際、小学校低学年のころでも基本的な動詞である「行く」と「来る」を使いこなせていませんでした。

本や漫画、あとはアニメについている字幕を活用して目で少しずつ覚えたおかげで今では日本語をほぼ不自由なく使うことができます。ただ、話題になっている新しい言葉は自分から拾っていかないとよく聞き取れずにナニソレ?で会話が終わってしまいますし、TPOに応じた言葉のマナーも他の人の様子を見て覚えることができないのでネットや本で知識を仕入れる必要があります。

この頃思うのは聴覚障害という障害は単に聞こえない・聴こえないというだけでなく「情報があっても『情報がある』ということすら気づけない」という障害であるということです。たとえば、会議に出席していても他の人が何を話しているのかよく分からなくてお客さん状態になりがちです。その場で自分に関係のある情報があったとしても、そのような情報があったことすら分からないので同僚に聞くことすらできません。音声でのコミュニケーションが難しいために周囲から孤立してしまうことにつながる、これが聴覚障害=コミュニケーション障害といわれるゆえんなのです。

周囲から孤立してしまい聴者の世界に居場所を見いだせないとなると私の居場所はどこにあるの?という疑問が湧くのは当然のなりゆきでしょう。私自身も、聞こえる世界と聞こえない世界という二つの世界のあいだに深い溝が横たわっているために、なかなか突破口を見出すことができなかったように思います。結局は、大学で聾のコミュニティに入って聞こえない世界のほうに軸足を置く形になったのですが、ここに辿りつくまでかなり時間がかかりました。とはいっても聾者の中では難聴者であり、難聴者の中では聾者である、そもそも目が見えづらいために聴覚障害者の中にいてもなお障害者である、という微妙な立ち位置にいるのでアイデンティティ探しの旅はもうしばらく続きそうです。

今までの四半世紀を見返すと、それなりに山あり谷ありという感じではあったものの、正直、聴覚障害に関しては適応が進んでいるいて自分では不幸だとかいったネガティブな気持ちはあまりありません。難聴も白内障も歳を取れば多くの人が経験するので他の人より早く歳をとってしまったという感じでしょうか。耳が聞こえないのと目に病気があるために不便なことは多々あるのですが、基本的には健常の人と変わらない生活を送ることができています。

ただ、障害者になりたくてなったわけではないので予防接種によって社会が風疹などの感染症から守られ病気や障害を持たずに済む未来、そして病気や障害があっても学んだり働いたりするチャンスが与えられる未来を残したいです。最近、風疹なんか罹ったって軽く済むんだから子供の頃みんなで罹ればいいじゃんという意見を目にしたのですが、先天性風疹症候群の子供がたくさん生まれていた時代に戻すなんて絶対にありえません。障害への理解という観点からいっても今のほうが断然いいです。私のころはまだ口話教育の時代ゆえ手話を禁止していた学校もあり、今のように手話を堂々と使えるような時代ではありませんでした。昔よりも今のほうがいい時代だなあと思うのですが、将来の若い人たちにも昔より今のほうがいいと思ってもらいたいです。